2009年1月25日日曜日

1/25 Today 小林一三が死ぬ(1957)

小林一三 - Wikipedia: "小林 一三(こばやし いちぞう、1873年(明治6年)1月3日 - 1957年(昭和32年)1月25日)は日本の実業家。阪急電鉄・阪急百貨店・阪急東宝グループの創業者。山梨県出身。慶應義塾卒。阪急ブレーブス、宝塚歌劇団の創始者としても知られる。

鉄道に加えて「乗客は電車が創造する」という言葉を残し、鉄道沿線の住宅地開発・百貨店経営など幅広く関連事業を経営し、沿線地域を発展させながら鉄道事業との相乗効果を上げる、今日の私鉄経営のビジネスモデルの原型を作った一人である。"
写真は若くてバリバリの時のもの。カッコイイ。

小林一三などの鉄道関連ビジネスは事業として大成功。大都市郊外に人口を大きく拡大させることになった。また鉄道沿線ごとに一種の文化も創り上げた。でも、阪急沿線で育ったので知っているが、あれはあまり便利な生活ではない。何をするにも電車で移動する。他社の沿線住民とは距離的に近くても交流もなくなる。電車に依存する不便な細長い閉鎖社会が線状に出来上がるだけ。また都市中心部(大阪)の環境は古いままに放置され居住に適さなくなってしまった。

小林一三の真似を全国規模でやったのが田中角栄。「日本列島改造論」で山でも川でもなんでもぶち抜いて東京と地方を連結し投資を全国的にばらまくことがいいとした。お金をかけた画一的なコンクリートだらけの醜い地方都市群が出来上がったが、おかげでニッポンの生産性は悲惨なまでに低下し、東京の都市インフラは明治時代のまま放置され恥ずかしい「国際都市」の姿を今にさらすこととなる。玄関がシャビーだったらお客も来ない。外国からの投資も呼び込めず、ニッポンは衰退することとなった。

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